Tabtub

ある物事をたのしむとき、自分なりの基準を持っておくと、その對象を理解し易くなる場合がある。「これは『あれ』とくらべてどうこうだな」など、理解のたすけになるときがあるという事。視野が狹まらない樣に注意する必要がありそうですが。

でもたのしいとかたのしくないとかは理屈じゃなくて默って直感に委ねた方がいいのかもね。あるいは直感で判断してから、さらに「たのしむ」ときに役立つ(場合がある)のが「比較」なのかも。

 

共通の內容の話題をなのに「ああ、はなしがかみ合ってないなあ」と感じた。この感情はすごくきらい。自分に對する怒りだとおもう。

ある物事とか趣味のはなしのときにこう感じる事が多い。コミュニケイションが下手なだけか狹量なせいかもしれません。多くを求めすぎなのか。はじめからのぞみ通りにいくと期待しない方がいいって事ですかね。

そもそも、趣味とか好きな物事のはなしって人とするもんなのか?(場合によるか。)

その「ずれ」のおかげで有益な氣附きもあるっちゃああるから完全に不毛なわけでもない。ただちょっともどかしさはありますよね。こまかいところの理解が互いにことなっているせいかも。

こころの平靜・平穩のために、この感情の發現は未然に防ぐべきである。こういう氣もちになる必要はないしなるべきではない。

 

先日ひととはなして感じた事でした。自己嫌惡。

まあ考えてもしょうがない。忘れよう。人間は忘れることが出來る動物だ。

 

今秊になってもう1か月がすぎてしまいました。いい秊になります樣に。