明けない夜は無い

夜に広過ぎない庭園を散歩する。そこは屋根付きの(漆喰)塀に四角く囲われていた。どこかに赤(漆塗だろうか?)も使ってあって、赤と白のコントラストがとても綺麗だった。どちらも夜に似合う色だ。いやむしろ、夜(と電灯)の「明かるい暗さ」が赤と白を仕立て上げると言った方が正しいかも知れない。

そのサイドマン的役割を持つのは、京風情ある電灯だ。彼は下の方にある玉仕立ての皐月群も効果的に照らし上げるし、僕の足もとも見え易くしてくれる。ふみ石と大小の石で、とても綺麗に整備されていた。

橋がある。ほんの10数歩で渡れる位の長さだが、確かに橋だ。アーチ状でこれまた赤く塗られている。どこかで見覚えのある様な気がするが、そんな事はどうでも良い。今は庭園を満喫しているんだ。

ということはこの庭園には池もあったのか。暗くてよく見ていなかったのかも知れない。池が一番好きだから後でゆっくり見よう。

一歩一歩、そこから見える景色を確認しながら橋を渡る。高いところからも美しい眺めだ。夜入れる庭園なんて中々無く、とても貴重な体験だと思う。夜こそ風情を感じる時間だ。

 

っていう夢を以前見た。(おい

余りに印象的だったのでつい書いてしまいました。「夢日記」は不吉だって良く聞くけど、大丈夫かなあ。

ちなみに続きは「橋の真ん中付近迄歩く→少し遠くで一緒に来ていた友だち(複数かは不明)の気配がする→『別の方行った奴こっち来ればいいのに』と思う→『面白いからこっち来いよ!』と言おうとする」です。ここでオシマイ。

 

色々なギモンが頭に浮かびます。

一緒に行っていた友だちは誰だったのか?何故庭園に行く事になったのか?そもそもあの場所は本当に庭園なのか?果して池はあったのか?(←これはどうでもいい) ...

答えはわかりそうにありません。だってこれは夢なんだもの、アタリマエですよね。

自由さこそ夢の良さなんです。目の前でどう自由であっても、それはかわらない。でもそのかわらない自由さが許せなかったりもする。夢以外にも言える事だけど。

 

何でこんな事を書こうと思ったかって言うと、京都に行ってみたいから。一度行った事があるけど、もっと色々なところをじっくり見たい。 そんな風に思っている時に綺麗な庭園の夢。夢日記書きたくもなりますよねえ。